Write to Do the Right Thing

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Only jocks to be blamed? 体育会系発想は運動部だけじゃない

最近こんな本が出るそうです.

殴られて野球はうまくなる!? (講談社+α文庫)

殴られて野球はうまくなる!? (講談社+α文庫)

 

 体育会系と云われてますが,実際のところ,無理に無理を重ねる努力を要求するのは,特に学校の運動部だけとは云えません.そう云えば,昔こんな記事を書きましたね.英語学習でも「千本ノック」という言葉が使われますが,基本の反復練習が語学には欠かせないということはわかりますが,個人が自分の意志でやるべきことを他人が強制し始めるとやっぱり違うな,ということになります.まあ,難しいですね.

After the Golden Age ended... ネオアコ後期ならず「意味順」後期

前Swedish popの話を記事に書いたと思いますが,この種の音楽が流行った時期がありました.このことを指して後期ネオアコと読んだ人もいたようです.その頃,ショコラとかが出てきたり,ネオアコ本流とはずれるのかもしれませんが,トーレ・ヨハンソンというプロデューサーが原田知世を手がけたりもしました.あ,『ティコ・ムーン』という映画もありましたね.ロボショップ・マニアというバンドが確かNHKの語学番組に登場したこともありました.それから,Round Tabletというグループもありましたね.いや,音楽はいいかどうかは知らないけれども声が…という感じの. 

ちなみに,ほとんど多くのギター・ポップ系の音楽が好きな人はネオアコという言葉も嫌いなはずです.ぼくはもともとAztec CameraやPale Fountainsの強い影響を受けていないので,どうでもいいですが.まあ,この後期と云われる時期に出てきたFountains of Wayne, Pernice Brothers, Push Kingsなどが本当は好きなので.

というどうでもいい話はともかく,もしかすると,田地野彰先生の「意味順」も後期あるいは第2期という段階に入ったような気もしてきました.ぼくはほとんど知らないのですが,柴原智幸さんという通訳か何かの先生が,よくアルクだったか朝日出版社だったか忘れましたが,英語雑誌に連載をしていますが,そこで意味順に近い考え方を披露しています.

そして,以前書いたように横山カズさんという方が「英語のシステムは究極にはA is B, A does B」というようなことを田地野先生の『<意味順>英作文のすすめ』と同じ岩波から出している本に書いていて,のけぞるほど驚いた記憶があります.というのは,ここ数年,ことあるごとに「意味順」から派生させてWho Does What OR Who Is Whatというモデルを考えていたからです.この通訳をしている(らしい←世の中に疎いのでよく知らないのです)人たちが田地野先生の意味順を知っているかどうかはわかりません.しかし,何らかの形で通訳のような瞬時に英語を生み出さなければいけない人たちが「意味順」に近い形で英語を捉(とら)えているということは特筆すべきことだと思います.

そしてです.多分,今年割と売れた本であるこの本も,大きくはその流れに属するものだと思います.この本が出たとき,タイトルだけをみて,「こんな考え方をするから冠詞がわからなくなる」的なことを云っていた人がいましたが,ちょっと違うかな,と思いました.どうせタイトルというのは,著者がいくら頑張っても出版社がつけるものですし,カタマリごとに英文を捉えるという意味ではいいんじゃないか,ぐらいにぼくは思っていましたが,この度目を通して見て,おお,と少し思いました.

会話もメールも 英語は3語で伝わります

会話もメールも 英語は3語で伝わります

 

 英文そのものはちょっと初級者には語彙が難しいものが含まれているのですが,それより,興味を引いたのは,意味順では,現状は,

Who   Does/Is   Whom What  Where When

*だれが する(です) だれ・なに どこ いつ 

 のように,最初の部分は「人」を基本にして,「もの・こと」が来るときは比喩的なものと考えます.動詞がもつactive感を身につける意味では初級者はそれでいいと思いますが,上記の中山裕木子さんの本では「もの・こと」を主語にする延長で-ingなどがここにくる部分をうまく説明していて,感心したのはThis, That, Itなどのセンテンスの前に登場していた部分を受け次いだ要素をして扱う部分を別個に紹介していたので,これは簡潔ながらも文構造から「つながり」と「まとまり」への橋渡しになる部分なので好感を持ちました.

 

中学生・もしくはそのレヴェルの英語の知識を身につけるのが先決という学習者には荷が重い課題でしょうが,そこを抜けた学習者が「意味順」というOSを継続して使用しながらの小さなアップデイトとしてはこういう部分が大事なのではと思いました.

 

*上記の「意味順」につけた日本語は田地野先生の著作に合わせて作っていますが,ぼくは最初の「だれが」の「が」を取ってしまおうと思っています.もちろん,それに抵抗がある人もいると思います.

Just forget about everything 文型主義者の幻想を潰す

 来週・再来週と次に出す本の音声録音の立ち会いがあります.個人的にはこれは好きな作業です.自分(たち)が作った英語がよくできているときは生き生きして感じられます.

この作業が終わったら,少し休みたいと思っています.そして,充電中に少しまた新しい「意味順」の本の企画を考えたいと思います.

〈意味順〉英作文のすすめ (岩波ジュニア新書)

〈意味順〉英作文のすすめ (岩波ジュニア新書)

 

 最近では,文構造の理解を過剰に重視すること自体が間違いなのだ,と前にも増して思うようになりました.本当に基本的な動詞の最も基本的な使い方をたくさんの使用例に触れて,個々の学習者がイメージ化するしかない(そして,本当はその使用例の多くをなぜだか覚えているのが理想です)のだ.だから,はっきり書いてしまえば,「SVOとSVCの違いがわかっていない」とかそういうことにこだわっている時点でダメなのではないか,というのがぼくの現在の考えです.

Both Marissa and Shannon became teachers.

 というような文があった場合,ぼくの感覚ではbecomeはbe動詞系のlinking verbで続いている名詞のteachersがBoth Marissa and Shannonがどんなものかを描写・説明しているという捉え方をしていますが,正直これをSVOと考えて,becomeを「変化する」というように考え,その変化する対象は何か,と考えてteachersという捌(さば)き方をしたところでそれはそれでいいのではと思います.多分,多くの教える側の人からすれば何となく変な感覚が残るのでしょうが,

Both Marissa and Shannon became teachers.

                     (Who)               (Does/Is)  (Whom)

センテンスの話題     動詞 新しい情報 

という観点からすれば,紛れもなくform(形,ただ「文法」だけではなく「発音」も含みます)とmeaning(意味)をマスターしたことになります.

「意味順」についても「意味順ボックス」にどこに入れるんだろうというのをいつまでもダラダラと考えているのは違うと思っています.本当はそういうのが大事なわけではないのですから.

じゃあ,どうするんだ,ということでなるべく再現性の高い「動きながら学んでいく」ようなモデルを提示するのが次の本の課題になるのかな,と思います.

Anti-intellectualism in Japanese Life 反知性主義とは何か

トランプ政権を引くまでもなく,それが起きる前から,反知性主義という言葉が語られてきました.

 しかしながら,どこの国に住んでいようと,ごくごくフツーの庶民が勉強ができるだけの人を崇拝するようなことはほとんど起こりません.勉強ができても,「ああ,あいつ頭がいいんだよね,でも…」と周囲に云われること自体はそのこと自体が良いか悪いかは判定できませんが,自然なことだと思います.

ただ,同時に,庶民がヒーローとして崇める対象というのは,本当に頭の回転が鈍いとかいうことはなくて,ただ,学校の勉強ができないだけで,ちょっと周囲から引いた要素を持つ実は感性か思考力に優れた人間だったりします.

この山田詠美の小説の主人公なんて最たるものだと思います.

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 確か以前にSaturday Night and Sunday Morning のことを書いたと思いますが,まあ,そういうことです(どういうことだ).

アメリカにもDukes of Hazzard: Complete Seasons 1-7 [DVD] [Import]という水戸黄門みたいなシリーズがありますが(Jessica Simpsonが主演で映画化されました),あれも警察がバカで,Dukeの方が賢いわけです.いい大学に行くような王道を描くのではなく,庶民で普通の生活をしている人の中で本当は賢い人物に庶民は共感するわけです.

まあ,だから,何だ,という話になりそうですが,何か問題を解決するのに専門家の話をしっかり聴くというのは大事ですが,同時にこういうごくフツーの人の感性を反知性的だとあざ笑っていると結局,せっかくの本物の知性が浮いてしまうのではないだろうか,ということが最近気になります.

 

So, what should true beginners do? 本物の初級者は何をやれば良いのか

「初級者」「初心者」に近い言葉はbeginnersでしょうが,英語は英語にはfalse beginnersという言葉があります.何を指すのかというと,一旦は学習をスタートしたけれども,本格的な学習に進めていない人を指すのだと思います.

個人的にはfalse beginnersというのはすごく恐ろしい言葉だなあ,と思ったりもします.というのは,「そんなにできるわけないけれども,これくらいはできるはず」ということを納得させるのにすごく都合が良い言葉だからです.

で,教材なんかを作っていると当然これくらいは知っていてほしいということで,ある程度読者を選ぶことになります.そのことは否定されるべきことではないと思います.難しいのは,そのことを肯定するということが,「当然これくらいは知っておいてほしいということ」を定義しないことになってはちょっとなあ,という話です.

 『「意味順」で学ぶ英会話は,文法の習得においてはほとんど知らなくてもいい,というつもりで書かれています.ただ,それはあくまで文法の話であって,false beginnersならぬtrue beginnersが用意した会話用例を理解するのは相当きついと思います.

「意味順」で学ぶ英会話

「意味順」で学ぶ英会話

 

制作途中は,読者は大人を想定していたので,会話用例はちょっとひねったものが入っています.それに,言語知識ではなく,学んだことが使われていることを確認する,という「気づき」を自分で求めるような態度を学習者に要求している部分があるところは否めません.

可能なら,このレヴェルのもので中高生向き,ビジネス向きのものを誰かが書いてくれるといいなあ,とも思ったりします.もちろん,この本はあるのですが,長めの会話に音声がついているものがあっても良いと思っているので.ぼくが書けば,ということもあるのでしょうが,まあそういう話がないもので…

「意味順」で中学英語をやり直す本

「意味順」で中学英語をやり直す本

 

個人的には,外国語教材においては,初級者用のものであっても,いくら文法やある表現についての素晴らしい説明があっても, 日本語が多すぎるものはダメだと思っています.ダメだ,というのは語弊があるかもしれませんが,読書して終わってしまうので,中心に据えるような教材にはなり得ないからです.やさしいものであればあるほど学習項目の使用例を確認する習得言語の部分が大事になってくるからです.で,本当の初級者は何をやれば良いのか,というと正直それほどお勧めできる教材はありません.

現役の中学生の人はこの学年ごとの分冊版を使っていると思います.まあ,無難な選択ではあると思います. 

中学 英語を もう一度ひとつひとつわかりやすく。

中学 英語を もう一度ひとつひとつわかりやすく。

 

Both sides of the same coin 違和感はどこにあるのか

依然として引き続きスピーキング本の制作をしています.今度の本は自分にとってはFantasmaのようなものです.いや,何を云っているのかわからないと思いますが. 

DELTA Natural English Series A Handbook of Spoken Grammar, Text with Audio CD (Delta Language Practice)

DELTA Natural English Series A Handbook of Spoken Grammar, Text with Audio CD (Delta Language Practice)

 

 このところ,思うことはスピーキングとライティングのアウトプット系のスキルが,公教育への外部試験導入の話と絡んで多くの人がこの2つのスキルに注目すること自体はいいと思うのですが,この流れを否定する人も肯定する人もごく少数の人を除いてはなんか違うのでは,と思っています.

「違和感を感じる」というのは言論において否定されがちな表現ですが,正直他の表現が見つかりません.というのは,先ずは読み書き(リーディングとライティング)という人は文法をしっかりやっていて読み書きができるようになれば英会話もいずれはできるという故・渡部昇一氏の主張的なことをよく云います.また,スピーキングをどんどんやろうという人も文法に関しては見えているものは前者の人と同じなんですよね.書き言葉の文法を口に出してしゃべれば話し言葉になるという.

ぼくは口語表現と云ってもかなり崩れたスラングやノンネイティヴは必要ないようなイディオムまみれのことを云っているのではありません.そういうことではなくて,スピーキングにおいてはモノローグを除いてはインターアクションなので,Topic - Statement (普通はTopic - Commentと云いますが,最近考えるところがあって,ぼくはわざとStatementという言葉を自分の教材の中で試験的に使うことにしました)という意味の完結が会話の参加者(Interloctors)の相互協力によってなされるのが決定的にライティングとは違うわけです.ライティングの場合,それをひとりでやらなければいけないからセンテンスがあるわけです.

ただ,スピーキングとライティングが対立しているのではなく,トピックを掲げて,それに対するアクションを伝えたり(これはaction verbsの使用を指します),描写へつなげたり(これはbe動詞系の動詞)してステイトメントを行なうのをインターアクションに頼るのかセンテンスに頼るのか,というだけで根本にあるものは同じとも云えます.

で,残念ながら,今書いたシンプルな要素で誤解をしている英語の先生と学習者が多数派なんじゃないかな,それなら,せっかくアウトプットを進めてもあまり意味がないのでは,と思ったりもします.

そういうちょっとしたことを埋めていくために今度のスピーキング本は書いています.というか,『論理を学び表現力を養う 英語スピーキングルールブック』で全部(とは云わないまでもかなり)書いたつもりなのに,結構上級者を含め「難しい」と云われたので,変なところにぼくが拘っていたのがあるのかな,と思ってシンプルにこれだという感じで思い切って書きました.もちろんこうすることでovergeneralizationになるリスクは避けられませんが,まあ初級者ですからね.原則だけというのもしょうがないと思います.あともう少しかかると思います.

 

English is not my cup of tea... ほとんど読んでいないイギリス文学

ぼくは翻訳を含めてイギリスの小説はほとんど読んだことがありません.ただ,読もうと思っている小説はいくつかあります.

ひとつはこれ.大昔からずっと読もうと思っていて読んでいません.ちなみに邦訳も出ています.これも読もうと思っていて読んでいません.ただし,映画化されていてそれは見ています.屈折した若者が出てくる青春小説です.というか,自分が読んでいる本って結局そういうのばっかりかもしれないですね.ある意味東野圭吾の『放課後』の先生だって,柚木シリーズだって,遅めの青春とも云える.しかも歪んでいる…

 で,このMartin Amisはもう今は老人になってしまいましたが,この本が出た頃は若手作家で,しかもこの父親も小説家だったりして,その人の方が英文学史においては有名なようです.まあ,どうでもいいことですが.

The Rachel Papers

The Rachel Papers

 

 さて,その他のイギリス文学というと,今はカズオ・イシグロということになるのでしょうか.よく会うネイティヴは読んでいるのですが,興味はあっても手が出ないという.まあ,近いうちに1冊ぐらいは,と思っています.

もうひとつ読み返そうとしているものに,G. K. Chestersonという大物の作家・思想家(?)の本があるのですが,これです.邦題は『木曜の男』ですが,これはずーっと前に読みました.もうすっかり忘れてしまいましたが.一般的にはこの作家はFather Brown Series(ブラウン神父シリーズ)で有名です.

 あとはこれ.この主人公もワルだけど何となく好き.

Saturday Night and Sunday Morning

Saturday Night and Sunday Morning

 

 まあ,ぼくが読みきれなくてもきっと代わりにアイドルが読んでくれるでしょう(人まかせ).