Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

英語教育批判が失敗する理由 (1)人は「時間」を考えない

英語学習についての本はたくさんあるし、最近はブログでも公開する人もいます(ぼくもそうです)。ただ、相変わらずうまくいかない人がたくさんいるのはどうしてだろう、ということを考えています。

昔からぼくは英語教育がなぜ失敗するのかという本を書きたいなあ、と思っていました。そして、そういう本を書こうという人も少なからずいるようです。しかし、ぼくが書こうと思っていた原案含めてたぶんゴミです。なぜゴミなのかということ自体が、書こうと思っている内容そのものではないか、と最近思います。そしてぼくがそれを書いたとしてもやっぱりゴミなのです。

後で掘り下げますが、本当に英語教育がなぜ失敗するか、という内容を書くことにどんな書き手も集中できないことがゴミを作り上げる最大の原因じゃないかと最近思うようになりました。なぜなら、多くの人は英語教育がなぜ失敗するか、を書くはずが、いつのまにかどうやったらうまくいくか、という話に変わってしまうからです。すると、なぜ失敗するかということを冷静に分析するのではなく、自分がうまくいくと思っている方法と対極にある方法を攻撃することになってしまうからです。

そこでいくつか英語教育批判が失敗することについて考えてみることにします.まず,その1つは人は「時間」を考えない,ということです.

人が成長(あるいは退化)する生き物である限り、その人の考えは変わります。これは英語教育に関する発言も同じです。また、状況によって適切なことというのは変わってきます。例えば、ある英語の先生が、学習者Aさんに「文法は大事だよ」と過去に云ったとします。しかし、2年後、その人はAさんに「文法なんて気にしなくていい」というかもしれません。それはおかしいことでしょうか。

あくまでこれは例で、ぼくは必ずしも文法が入門者・初級者に大事で、上級者にはいらないとかいう話をしたいわけではありませんが、状況によっていうことが変わっていたからといって、発言者がいい加減だということにはなりません。ただ、Aさんのような発言を聞く側は混乱する場合はでてくるでしょうし、揚げ足を取る人は必ずでてくるでしょう。よく政治家に対してマスコミがやるように(註・ある特定の政治家に対しては云わなかったり、マスコミ側の主張に都合のいい政治家の変節についてはあまりされないようです。まあ、そのことは英語教育には関係ないので適当にこの辺でやめておきます)。

ただ、結局のところ、この英語の先生の場合、大きな流れで彼(女)がどういうつもりで云ったのかをAさんに説明すればわかってもらえるはずです。この場合は状況によって先生は発言を変えたと推測するのが普通のですが、そうではなくて、先生がこの2年間の間に成長したことがこの発言に繋がった場合でも、きちんと説明する限りは困ったことにはならないはずです。

しかし、いずれの場合も大事なことは先生自身がこの2年間という時間差を意識していることがきちんとした説明に繋がることを忘れてはいけません。困ったことは、この時間差をまるで意識しない発言をすることです。あるいは時間差によって発言が変わったことを恥じるあまり、別のロジックを持ち出すことです。これは危険なことです。

先生とAさんの会話に戻りましょう。

例1

A:「なかなか会社の英語ミーティングの発言に参加できないんです」

先生:「文法はあまり気にしなくていいよ」

A:「え、だって昔英語教えてくれたときは、文法すごく大事だって云ったじゃないですか」

先生:「いや、そんなこと云っていないよ。それは勘違いだよ」

例2

A:「なかなか会社の英語ミーティングの発言に参加できないんです」

先生:「文法はあまり気にしなくていいよ」

A:「え、だって昔英語教えてくれたときは、文法すごく大事だって云ったじゃないですか」

先生:「そうだ。文法はすごく大事だ。いま、そういっただろ」

A:「え、いま、文法はあまり気にしなくていいよ、といいましたよ」

先生:「何云ってんだよ。聞き間違いじゃないか。ところでその眼鏡よく似合ってるな」

いささか極端ですが、この場合、先生うそつき、サイテーといかいう人間性の問題を抜きにして冷静に失敗がどこにあるのかと振り返ってみると、この先生は2年間で発言が変わることに気づいていないし、指摘されても認めようとしないことです。このことは非常に問題です。さて、これによって誰が被害を受けるのでしょうか。もちろん、Aさんですね。しかし、それだけではないですよ。少し考えて、やっぱり先生も可哀相というかもしれません。しかし、もっと可哀相なのは、この先生に教えられているであろう他の生徒です。

この先生は、時間差を意識して物事を考えることができないので、たぶん、この会話が終わった後、なぜ、2年間によって自分の発言にずれが生じたのかがわかっていません。わかっていないのですから、今後もテキトーなことを云い続けます。まあ、スルドイ生徒はこの先生の云うことなんて無視するのですが、この先生がものすごい美男美女だったりその場を取り繕(つくろ)うだけの話術が天才的に長(た)けていた場合は信じてついていくかもしれません。

長くなりましたが時間差を常に意識することというのはものすごく大事です。近いうちにこの時間差の英語教育上の具体例を挙げたいと思います。