Write to Do the Right Thing

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英語教育批判が失敗する理由 (2)人は「自分」を考えない

英語教育について何か書こう(云おう)とする人は、おそらく英語教育はこうあるべきだ、という考えを持っています。でないと書く(云う)理由がなくなります。 ただし、この人たちは大きなミスをしています。ひとつのミスについてはこの前書いたことと重複するので今回は割愛します。まとめておけば、時間を無視しているために、批判の矛先であるべきいまある英語教育に対して正しい認識がなされていないことです。これは由々しき問題ですが、今日は書きません。 さて、もうひとつは、意見を主張する自分自身についての自己認識ができていないことです。これを本当に書いてしまうと真綿で自分の首をしめることになっているのですが、これはべつにぼくがテキトーに書いている落書きなので思うがままのことを書くことにします。 残念ながら、ぼくを含め、自分を正当に評価するということは難しいです。どうしても主観が入ります。それも甘めに。極端に厳しい人も時にはいますが、その場合も視点が間違っていることが多いので、正しいとは云えません(はっきり云えば、「自分に厳しい自分」に酔っている人が多いです)。 とにかく、それが云い悪いはともかくとして、まず考えなくてはいけないのは、他人が自分をどのように評価していることです。少なくともこれが出発点になります。英語教育批判を外に出すためにはこれができないといけません。で、出来る人がだれもいないから、結局失敗に終わるわけです。 批判をするということは、現状が正しくないと思っています。だけれども、不思議と批判者は自分の批判が世の中に受け入れられると勘違いをします。現状が現状であるからには、現状を支持する人がいるから現状があるんですよね。まず、これが大きな誤解のひとつです。例えば、受験英語は良くない、という批判だったとします(これは例ですから、いちいち突っ込まないでください)。受験英語は悪いんだ、という内容を云ったからと云って解ったもらえる場合は少ないです。現状では受験英語は悪くない、と思っている人がそれなりにいるのですから(繰り返しますが、これは例です)。 さて、ここでもうひとつ、この批判者の意見が受け入れられない、ここでは受験英語はダメだ論、がわかってもらえない理由があります。ここで考えるべきはこの批判者は誰か? ということです。 ここでは2通り考えられます。 ①受験英語関係者(例、予備校講師) ②受験英語の外側にいる人(例、英会話講師) まずは①の場合ですが、じゃあ、なんであなたは予備校講師で受験英語をやっているの、と云われます。この批判者はいや、予備校講師だからこそ見えるのだ、とかいうのですが、なかなかそういうことは解ってもらえないのです。そして、もっとずるい人になると、予備校講師やめればいいと云われると、黙ってしまう、あるいは絶対にやめないのです(何ででしょうね。ぼくは解っていますが、いちおう書かないことにします。賢い人は解りますよね)。 ②の場合は、自分が受験英語でうまく行かなかったからだ、と①に属する受験英語賛成派の人に云われる羽目になります。またこの人が帰国子女だったりすると、あなたは受験英語なしで英語ができるようになったかもしれないけど、フツーの日本人は違うんだよ、と云われることもあります。また、受験英語に対する無知をさらすとそこを突っ込まれるということも有り得ます(受験英語といってもいろいろですからね…… ただ、これは受験英語擁護側もこの理屈は本当は少しずるいんですけどね。受験英語の外側にいる人に受験英語全部を把握しろというのはかなり無理な要求です)。 いずれにせよ、この①②ぐらいのことはあらかじめ充分に考えていないといけないのに、向こう見ずに批判を繰り返してもなかなか世の中はそんな意見は受け入れようとしません。自分以外の人間にまずその批判をする資格が本当にあるのか、証明できるのか、などを考えて発言しないとなかなかうまくいかないのです。 残念ながら、世の中は残酷で,ある一人の人間がどういう生き方をしてきたなどということは、芸能人や有名人を除いてはほとんど関心がありません。そして、この人自体が他人を評価するときはそういう目で評価しているのになかなか自分にはそれができません。 この当たり前の自己認識の難しさも英語教育批判に影を落としていることは間違いありません。