Write to Do the Right Thing

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英語教育批判が失敗する理由 (3)人は「自明なこと」を考えない

人は「自明なこと」を考えない──これは当たり前のことですが、このことに気づくことは当たり前にはできないことです。そして、前の2つのこともそうですが、なにも英語教育とか英語教育批判に限ることでは実はありません。でも、だからと云って話を広げすぎるのもどうかと思われるので、英語教育に限った内容で書くことにします。 「自明(self-evident)」ということは自分が当たり前だと思っているということです。厳密に言葉の意味から考えると「自明」であれば、他人にとっても当たり前のことなのですが、そうすると面倒なのでそうではなく、自分が当たり前だと思っているということは他人にとってはちっとも当たり前ではなく、この場合においてはある人にとって「当たり前」であるものであればあるほど、それを「当たり前」と思っていない人にはものすごく難しく感じることです。 今回は TOEIC を例にとって見ましょう。TOEIC の主催者である Education Testing Service (ETS) が製作した『TOEICテスト新公式問題集』(いちばん新しいのはVol.4)について書いてみましょうか。 まず、この問題集は TOEIC 試験の過去問ではありません。少なくとも過去問として ETS は発売していません。たぶん、かなりの方はそんなことは知っているよ、と思ったでしょう。しかし、ぼくは「やっぱりテストの前には過去問やったほうがいいですかね?」と何度も自分が教えている受講生の人に訊かれたことがあります。また、英語講師でもよほど何度も試験を受けていない人ではこのことを知らない人はたくさんいます。 それどころか、英語講師で TOEIC クラスを教えている人さえ知らない人がいることをぼくは知っています(こんなことを書いていいんだろうか、……とちょっと考えてしまいますが)。ぼくはそういう先生はかなり勉強不足なので問題だと思いますが、現実はそんなものです。 さらに、先ほど紹介した『TOEICテスト新公式問題集〈Vol.4〉』に加えて『TOEICテスト新公式問題集〈Vol.3〉』『TOEICテスト新公式問題集〈Vol.2〉』は形式そのものは現在の実際の TOEIC テストと同じになっていますが、新形式になってすぐ出版された『TOEICテスト新公式問題集』は実際の形式と少し違っていることを知っている人はかなり少なくなります(大きく違うのは Part 6)。加えて200問だからと云って1問5点ではないということ(ここに明記されています)になると知っている人を探す方が難しいです。 しかし、TOEIC に異様に詳しい受験者は講師じゃなくてもそれこそ「自明」のこととして知っています。そして、上のことを知らない人間がいると眉(まゆ)を顰(ひそ)めるかもしれません。 この場合、上記のことを「自明」と思っている人と知らなかった人が会話をするとどうなるでしょうか。どちらかがよっぽど素直というか従順出ない限り、文字通り「話にならない」でしょう。会話というのはある種の共通理解に基づいて行なわれるので。 さて、今回は別に TOEIC の話をしたかったわけではありません。むしろ、「自明」なことこそ多くの人に納得してもらうのは難しく「自明」でない人を見据えた上での説明を怠ってはだれも理解してくれないということを考えなければいけないということです。 特に、英語教育批判をするなら、旧来型が「自明」だと思っていることを、自分が「自明」と思っていることに基づいて批判するのですから、このことができないと何もしようがないはずです(註・賢明なる皆さんの中になぜぼくがここでしつこく「自明」という言葉を使っているのかこの辺りで気づいてくる人がでてきてくれるとうれしいです)。 実はいまぼくはわざと批判される側にも批判する側にも「自明」という言葉を使ってみました。ここからぼくが英語教育批判について書きたかったことなのですが、本来、人がなぜ議論をするか、ということを考えてみると、それは相手を「自明」だと思っていることによって打ち負かしていい気になることではなく、相手の意見によって自分の意見に弱点があることを知り、双方が自分の意見に対して建設的な改善に向かうことが議論の目的のはずです。だから、いままでの英語教育でいいと思っている側もそれではだめだと思っている側も自分がそうだと思い込んでいる部分を徹底的に見つめなおせば、何かしらの突破口(breakthrough)は見えてくるはずなのです。 しかしながら、英語教育ではこの方向に議論がなされることはいまのところ見たことはありません。丸め込まれるか、喧嘩(けんか)になるだけです。そして、この議論の殆どが日本語で行なわれ、学習対象者も日本人についてしか考えないこともなんとなく気になります(そのくせ、都合のいいときだけ、「(英米人が話す言葉ではない)世界語としての英語(World English)」という理屈を持ち出すことも)。 とりあえず、自分のことを棚にあげて、今考えていることをすべて書いてみました。これからも、英語教育批判は絶えず行なわれるでしょうが、たぶん、このままでは、英語教育はいい方向には向かわないでしょう。もちろん、小さな世界では優れた英語講師や英語教育者が英語ができる人材を育てていくということはあるでしょうが(今までだってそうだったのですから)。ただ、これよりも2つ上の段落に書いたことが少しでも行なわれればと願ってやみません。