Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

There's no magic formula, but...

英語学習に置いて、急激にできるようになるようなすごい勉強方法はありません。たとえ、TOEIC のようなテストであっても200点の人が2-3日でいきなり800点になることはないです。そんなこと知っている、という人もいるでしょうが、知らない人は(あるいは知らない振りをしている人は)結構いるみたいです。

 

何度も同じことを書きますが、同時に効率の悪い努力と根性だけの勉強方法に固守するのもダメです。そういう人は、単に努力をする自分に寄っているだけです。キレイにノートに和訳を書いて、それを問題集に載っているものと見比べて赤を入れた挙げ句、またキレイに鉛筆で清書する、……ようなことをしている人はいないと思っていましたが、少なからずいるようです。

 

何度か書いて覚えるという人もいます。これは書きなぐりですが、ただ、英語を見ながらいくら筆写してもできるようにはならないですよ。書くなら、回数を減らしてでもいったん覚えたことを見ないで書く、ということをしないと。

 

世の中には効率よく物事を進めることができる要領のいい人と悪い人がいることはぼくもわかっていますが、変な勉強方法をしている人(註・英語学習や英語教育理論にはいろいろな立場があります。ぼくが書いてきたように。そのどの立場に立ったとしても非効率と考えられるものに限って云っています)にどうしてその勉強法を始めたのかを聞くと、英語の先生にそうするといいと云われた、という人が大半です。

 

あーあ、……という気になります。何度でも書きますが、自分の教える学生・生徒・受講生の努力を奨励するのはいいですが、本当にいやな「スパルタの体育の先生」になっている英語の先生が多いというのはどうなんでしょうか。ついでに云えば、英語には声を出して練習するなど、学問一般よりも体育に近い部分もあります。そういう体を使った練習をすることをぼくは否定したりはしていません。ただ、声を出す練習も目的が必要だと思います。それこそ、優れた運動選手がいい結果を残すべく目的を持ってバッティング練習やリフティングをしているように。人生においての目標は英語の先生が関わることでは本来ないのですから、その人の進みたい方向を考えながら学習上の短期的・長期的目標をつくる手助けをするのが教育だと思うのですが、違いますか?

 

ついでに云えば、教育は別にその教科の知識やスキルを習得させることではなく、学生・生徒にいやなことをやらせることを学び人間的に成長させるためにあるのだ、だからできるだけ効果の出ない方法を無理にやらせて彼らを不快にさせること自体が大切なのだ、と信じている人とはぼくは話をする気にはなれません。勝手にしてください。ぼくはそんな英語教育にはまったく興味はありません。残念ながら過去に何人かこういう英語の先生にも出会いましたが、もう2度と出会うことはないでしょう。さようなら。