Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

Does effort matter? 皆努力が好きだけど

以前も書いたことですが,努力について.ぼくは努力ということばがハッキリ云えば嫌いです.

努力は必要かもしれませんが,人に自分の努力に対する価値観を押し付けるのは好きじゃないわけです.そういう意味ではぼくは自由主義者ですから.ただ,ある程度合理的なやり方を知っている場合はそれを提示はします.でも,やりたくない相手に押し付けてもしょうがない,と思っています.

英語力がつけばいいのを,なんか頑張りました→できるようになりました→えらい,のようなストーリを英語教育が 要求しすぎることです.これは守旧派,改革派,公教育,民間にも云えることです.

「文法訳読」「多読」「辞書を引け」「スピーキング」「音読」「発音」すべて守旧派・改革派に関わらず,学習者の努力のせいにしたがりますね.本人はそのつもりはなくても,「ドジでのろまな亀でもがんばる」物語で泣くように刷り込まれている典型的な日本人なのだと思います.

多読や音読,訳読そのものが即いけないわけではないが,なぜか単調な作業を掃除当番を押し付けられた感覚で量を繰り返して多大な努力と量で成し遂げる側面ばかりが強調されインプットに当事者意識を持たせることは無視するか嫌われる.そういう工夫を教材に入れることもあまり好まれない.

日本において英語教育/学習というのはscienceでもartでもなく宗教のように感じます.「村沢先生.私,がんばりました.どこまでもついていきます」「松本お前はドジでのろまなかめだがよくやった」(いい加減しつこい)とかいうありえない努力をすれば奇跡が起こると信じたいだけなんじゃないかと思うことも度々です.

誰かが英語学習法本は官能小説と云っていたのを思い出します.大事なことなのでもう1度書きますが,努力は徹底的に個人的なものであり,自分勝手な努力とそれを美化する風潮には賛同できません.

そういうのとは別に自分で考えない人も好きではないですが.これは英語力のレヴェルの問題ではありません.人にはそれぞれその人なりの自立の仕方があります.

ついでに云っておくと,この努力した人が成功する物語で「アメリカン・ドリーム」という言葉がよく使われますが,実のところ日本人ほどアメリカ人のネイティヴはefforts「努力」とかTry hard to achieve your dream的な表現は使いません.あまり私的なことは書きたくないのですが,共通の友人について,アメリカ人の友人と話していて,その人が本当に目標に向かって努力するタイプの人で,彼が ちょっと頑張りすぎなので大きなお世話な心配を2人でしていたわけですが,結構長いことこの話題に話していたいのに,彼の口からtry hard, make effort(s)という表現がでてくることはありませんでした.じゃあ,代わりにどういう表現を使っていたのかというと

He's so driven to get what he wants.

的な表現でした.もちろん,通じるならばeffortsやtry hardを使ってもいいとは思うがなんか考えさせられます.