Write to Do the Right Thing

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materials more or less preferred さらに「よりまし」を考える<教材編>

 

TOEIC TEST きほんのきほん

TOEIC TEST きほんのきほん

 

 今日,たまたま編集者の人から原稿に関してEmailで説明があって,それに応対しながら思ったのですが,

 

そこまで意識してなかったのですが,自分の教材づくり考え方の基本は,インプット用に出した例にポイントを学んでもらって,それを試してもらうというスタイルなんだなということに気づきました.

 

これから出るスピーキング本もTOEIC本もポイントはさらっとしか書きません.自分が出した例の中には,他にも学ぶべきポイントがあるかもしれないが,あまりそこは触れません.これで「気づき」が起きるかどうかはわからないのですが,変な話,自分としてはこれ以外できない気がします.

 

最近は教え魔か勝手に人をある種の完全な型にはめていく人か,何ひとつbig pictureを見せない人の両極端によるがそういうことではないんじゃないかな,とちょっと思ったりします.もちろん,Yang Wen-liではないですが,「人それぞれの正義」があるのかもしれませんが.

 

繰り返すがつねに「よりまし」を探すことが大事な訳です.教材がたまに自分が変われるポイントをズバリ教えてくれることもあるが,自分の学ぶべきポイントは学習者自身にあるわけですから.

 

ただ,教材や教える人が適切でないと学びは永遠に起こらないかもしれないのが怖いですね.

 

ところで,全般的な英語学習でSLAに関係する知識とは別に漠然と思っていることがあります.TOEFLTOEIC,英会話,受験英語,ビジネス英語…といろいろな学習対象があり,それが違えば英語はちょっと違うのかもしれません.

 

だけど,上から目線と云われるかもしれないがユー ザー感覚で学習段階を考えると「一定の知識を覚える」→「使われている全体を見る」→「細かい点にも改めて目を向ける」のは同じだと思います.

 

TOEICなら,必ずしもパート別攻略がいいとは思いませんが,英語の苦手な人ならPart 1とか短いものから初めて基本的な文のかたちや語彙を覚えていく.それが慣れてきたら,だんだん英語の量が多いPart 3, 4, 7をやる.でも満点近くなると難問ではないがあやふやな知識が災いしてPart 1, 2, 5あたりで失点してしまうのに気づいて,そこをつぶすわけです.

 

この部分から全体に行き,また部分に戻っていくような学習観は,俗に云われる「細かい文法や発音にとらわれず内容が大事」とか「相手に不快に感じさせない 言葉を使うべき」にも矛盾しないように思うのですが,まあ現実は部分派は全体派をdissり,全体派はまとまりがなく,dissる以前に自分の意見がまとまっていないという感じがします.どちらもポジショントークみたいなことをしていて非常に残念です.