Write to Do the Right Thing

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Everybody wants to frag somebody else somehow. 誰かを叩きたいという人間の性について

(かつて書いた記事をこちらにUpdateしました)

さて,今日は英語には必ずしも関係ないことについて考えて見ます.

ちょっと前に,グラビアアイドルやタレントやらが買っていない商品を ネットオークションで買ったという内容が世間をにぎわせ,そして最近では体罰を受けていた高校生が自殺した事件がありました.この事件で真に刑事事件,民 事事件として裁判になるべき部分についてぼくはコメントをする気はありません.

それよりぼくが怖いなと思うのは,ここで世の中が関心をも つと(本当はメディアによって関心をもたされていると),多くの場合正しいとされる(本当は正しいかどうかは知りません)意見が生まれます.ここで,面白 いのはその正しいとされる反対のことを言う人に強い風当たりが起こるような空気が形成されることです.

空気が形成されるというのは極めて非科学的なので,言い換えれば,正しいとされる側にいる(ということになっている)人が反論する人に対して激しい罵(ののし)りの言葉を浴びせたり,あるいはまだ反省していない,と断罪したりすることが起きます.

誰とは言いませんが世の中には,あえて逆説的なことをいい,正しいとされる側にはむかい,そして自分のキャラクターを形成できる人もいます.この人たちを 「炎上ビジネスの専門家」とよぶ人がいるようです.ただ,そういう人は多くはありません.多くの人はこの罵りの中の厳しさに耐えられず小さくなってしまい ます.

果たしてこのことはいいことなんでしょうか,と考えたりします.確かに,初期の段階で正しいとされる考えが形成され,それに納得す るところまではいいです.意見を最初に形成した人は別に自分がよくよく考えてその意見を生み出したのですから,何も文句をぼくが言う筋合いはありません. しかし,それに追従した人というのは,納得したところまではともかく,なぜ多くの人が反論をした人に対してののしらなければならないのでしょうか.

ぼ く個人としてはこういう罵る人たちの存在は無駄だと思っています.というのは,この人たちが正しいとされる意見の側にも反対側にもあるいは中立的な人,そ れ以外の人に何か利益をもたらすことがないからです.この人たちがなぜ罵るかと思ったのですが,要は誰かを叩きたいんですよね.実はいじめ問題を批判した り,体罰に反対しているときも,この反いじめ,反体罰運動のアジテーター(扇動する人)はものすごく暴力的だったりします.原発関連についても,利権構造 を指摘して,「原発ムラ」「御用学者」という存在に気づいたこところまではいいですが,ちょっと原発再稼動に条件つき賛成をした学者が出てきたら,その人 にすぐレッテル貼り(英語ではlabaling「レイバリング」という)をするのはどうかと思うんですね.

こういう人たちが真面目に違った人たちが意見をぶつけて,自分の意見の中に弱点があることを知り,議論をしたことによってすべての議論の参加者が何かを学び,それが一般の人の利益(お金とは限らない)になる,となるべき流れを差し止めている気さえします.

なんだかなあ,と考えさせられる今日この頃です.