Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

How you see the world--that can't be taught. 言語観は教えられない

books SLA TESL

 

英語スピーキングルールブック−論理を学び表現力を養う

英語スピーキングルールブック−論理を学び表現力を養う

 

 『英語スピーキングルールブック』は「つながり(cohesion)」と「まとまり(coherence)」,『意味順英会話』はもちろん基本的な英会話で使われる文構造を田地野先生の「意味順」モデルを使って記述することということがテーマであるということになっています.

それはそれで正しいのですが,それはスポーツの解説者が客観的に視聴者に向かって,勝った選手やティームの勝因を語っているときの妥当性と同じような意味で正しいのであって,著者自体が本を出してやりたかったことはいろいろ他にあったりもします.

ただ,個人的にはそういうことはあまり云いすぎないほうがいいのかな,とも思っています.時々,少し解ってくれることを期待して,自分の著書のまえがきに少し書いてみたりしたこともありますが,人生において,人間が人間を本当に理解することなどはありそうでいて,それほどないわけですから(こういう問題を文学的に考えたい人はこんな本を読んでみるといいかもしれません),当然のごとくなかなかわかってもらえない事実に苦しむ自分自身を見い出すだけに終わることをここ何年かで知りました.

英語教材を作る側からすると,基本的にあまり学習者ひとりひとりの内面に入りこみたくないし,入り込んでは不当に英語教育サーヴィスの提供者が学習者をヘンな形で選別しているような気がするのでぼくは常に1歩も2歩も下がることばかり考えています.

しかし,同時に,ことばであるからには,その人の世界観を反映する,つまり言語観自体がある人が英語をマスターできるかに大きな影響を与えていることは否めません.そのことからすれば,乱暴な云い方をすれば,文法や語彙,発音といった言語知識の習得はそんなに大事ではないし,穴があれば,またやり直してつぶしていけばいい訳です.それより,自分が学んでいる言語と自分が属している世界に意味を見いだせるかということが英語学習者にとって最も大事な点だとぼくは思っています.

ただ,この言語観はぼくからすればやっぱり「才能(sense)」に属するものできっかけぐらいは与えられるかもしれないけれども,教えられるものではないんですね.ぼくは英語学習者の動機を肯定的であれ,否定的なものであれ過剰にアピールする英語教育者や英語学習者は好きではないし,同時に師弟関係を殊更強調する英語の先生も,この「言語観が英語学習者の成長を決める.だけど,それは教えられない」という冷酷な事実を見ないまま,なんだか違った角度の精神的な基準を学習者に強要しているような気が最近はしてきました.

で,実際のところ,ぼくが最近書いている本でやりたいことは何かと云えば,それはやっぱりcritical thinkingやactive learningなわけです.いや,マジで.でも,自分なりに必要なインプットする対象を見極め,その中でさらに学ぶべき要素を見い出していく,さらに実践の中で自分が学んだことの妥当性や効率性を検討し,微調整を加えていくこと.こういう英語学習がcritical thinkingやactive learningじゃなかったら,他の何をこう呼ぶのだろうかなんて思ったりします.『英語スピーキングルールブック』も暗記の本ではないので,学習者が自分なりに英語スピーキングにおいてのマクロスキルを自分のOSとして備え付けて育てていただけるのがいちばんだし,『意味順英会話』も会話例や意味順ボックスを使った例は自分のインプットやアウトプットに「意味順」を試行錯誤しながら,学習者が使いこなしてほしいのが願いで,決してこちらが完全に型にはめ込んだようなものを暗記してもらう意図はないんですね.ただ,これを云いすぎるとまた良くない方向へ進んでしまう.悩みどころです.