Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

It is always close to us. 「意味順」について再び考える

世の中とは不思議なもので,だんだんいろいろなことが解ってくるにつれて,新しい謎がやってくる.そして,その謎というのは自分の手の届かないところにあるのではなく,本当に近くにあるだけど本質が見えない.そんなことを最近思います.

現在,『「意味順」で学ぶ英会話』の続編を書こうといろいろ考えているのですが,その本自体は仕上げることができると思いますが,それよりも意味順自体の世界観・言語観をどうやって平易な言葉や説明に落としていくか,ということがとてつもなく難しい課題になっています.前にも書いたかもしれませんが,ぼくがpedagogical grammar(学習文法)における意味順における関心は,意味順か5文型かどうかということではありません.語にあらかじめ品詞がが決まっていて,それを文法知識によってパズルのように組みたてていく言語観は,実際の英語ユーザーの感覚とは違うことを英語に慣れていないいない学習者に提示できる可能性に期待しているわけです.

英語を使っている人たち(ネイティヴスピーカーはもちろんのこと,英語を日常的に外国語として使っている人も含みます)からすれば,ある程度英語正解の中での常識=共通理解(common sense)の中で妥協を計りながら,言葉を紡いでいく,というのはあたりまえのことだと思います.しかし,それを外側世界に可視化するというのは非常に難しい作業です.そして,どういう云い訳をしても古くから積み上げてきた日本の英文法教育がその課題に答えてきたか,というとやはり疑問だと思います.

『「意味順」で学ぶ英会話』では,なんとかすべての文の原形はWho Does What<誰かが何かをする>かWho Is What<誰かは何かである>のどちらかである,ということを示し,これを軸に,疑問文と現在と過去とこれからのことの表現を少しマスターすれば結構話せることはあるのだ,ということを示そうとしました.今度の本では,単に扱い切れなかった文法事項を盛り込むだけではなく,この言語観を基軸にしながらも,<誰か(人)>ではなく,<何か(もの・こと)>だったらどうなるんだ,などというのも「主語」という解ったような解っていないような言葉を振り回すのではなく,コミュニケイションとしてことばがどう使われているのか,という点から深くしかしシンプルに踏み込めないかな,と思っています.ただ,それが難しいんですね.

悩んでいるのは,颯爽と田地野先生の意味順が現われたとき,学習者にボックスの利点を強調しすぎた点があり,ボックスにはめる前の時点で,語や語のかたまりは何かしらのコンテクストに沿う意味がある,という部分が見落とされているような気がするので,その辺をケアできないかな,という点です.

もうひとつは会話に必要な文法はかなり,5文型がどうかというより前に,現在,中学校などで教えられている英文法を含めてなんだか違うのでは,ということを最近ますます感じることです.ぼく自身は決して,スラングやイディオムばかりの口語表現のことを云っているわけではありません.話し言葉で当たり前にされているルールは案外教えられていないのではないか.そのため,話す機会を充分に与えられた学習者が文法の必要性を感じても,従来型の読み中心の文法を提供されたりして,ミスマッチが起きているのではないか,という疑問です.今度の本はこの辺に切り込めたらいいですよね,と勝手に思います(それが売り上げにつながるかは甚だ疑問ですが…).