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Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

Anyways, it's pretty much the same thing! たったひとつの冴えたやりかた??

ネット時代になって,個人がしたければ自己表現ができるようになりましたが,実際にアイドルになれる人は決まっているようです.そもそもスナフキンじゃないけど,有名になるなんてつまらないことだと思います.

Tractatus Logico-Philosophicus (Routledge Classics)

Tractatus Logico-Philosophicus (Routledge Classics)

 

突然,乱暴な書き方をしますが,ときどき謎に思うことがあって,ネット上でなぜ人は英語学習について語るのだろうか,ということを思います.いろいろ考えたのですが,自分にとって自明である(と感じている)ことが,ある他者にはまったく見えていないことへの不快感なんじゃないかな,と最近思うようになりました.

自明なことの内容は人それぞれです.「5文型の優位性」なのかもしれないし,「つながり」や「まとまり」なのかもしれないし,「発音」なのかもしれない(註・ここではそれがいいとか悪いとかそういうことは無視して書いています).ただ,ここで考えたいのは,どのような立場の人がどのような内容を信じようと自由で,また信じていることは正しいかもしれない.だけれども,自分にとって自明なことは,多くの場合,他人にとってはまったく自明ではないことです.そして,自分が自明だと思っているから,他人にその自明なことを説明する言葉が本質より少しずつずれていく,というのがあるのだろうな,と思います.

そういえば,よく「英語は論理的だ」とか云う人がいますね.そして,論理的な理由が「主語があるから」だと.ぼくからするとこの考えだけ聞くとメチャクチャ「論理的」でないよな,と思うのですが,これもよくよく考えると,これを主張している人は感覚的には本当は英語がわかっているのかもしれない.ただ,自分の説明のまずさに気づいていないだけだ,こともあり得ないだろうか,と思うようになりました.

これは,「つながり」と「まとまり」を主張している人にも云えることですが,なんとなく,英語は文法がどうこうという前に(たぶんまるで関係ないわけではない),なんとなく,こう流れていくというのがあって,話したり,書いているときは,考えの組み立て方が,無限の可能性になっていくことはあまりなくて,どちらかというと慣れている人からいうと,大まかな枠のようなものにそって状況にピタッと合致する語や語のかたまりを置いていくような感覚なわけです(ぼくもそうです).

で,そういう感覚からすると,あまりにその誰から習ったわけでもない大きな枠からそれていくと,すごく変に感じて,頭がクラクラしてきたりするわけです.ただ,本当に「頭がクラっとする」とか云われれば,そのアウトプットをしてしまった人からすればすごく傷つくわけです.何で,一生懸命書いたのに.

で,その理由を説明するとき,「IntroductionとBodyとConclusionがあって」とか「5つの文型があって」とか云うことにたいていなるのですが,実のところをいうとそういう説明は実は本質ではないので,云われた通りに「IntroductionとBodyとConclusion」で書いたはずなのにスカスカな文章になったり,見てくれはアドヴァイス通りの文構造を使ったのに意味が通らないということになったりするわけです.

ぼく個人から云えば,センテンスでもパラグラフでももっと大きな単位でも,英語の場合,初めの方で概要(outline)を示して,聴き手や読み手が焦点(focus)を定めてあげてから,必要な情報・考えを伝えるという感覚があって,実のところを云えば,a/theの使い訳とか,関係代名詞とかいわゆる文法好きの人がcausative constructionとか呼ぶ文構造のセンテンスだって,ぜんぶそういうことに関係があるのですが,こんなことを云ってもなかなかそう簡単にはわかってもらえないので,いろいろ考えて,最近は田地野彰先生の「意味順」をモデルにした英会話本「つながり」と「まとまり」を軸にしたスピーキング本をだしてみたりすることに至ったわけです.でも,まだ完全に自分と学習者の間にあるgapを埋めきれていないなあ,というのはつくづく思うところです.

まあ,本質ってなんでしょうね.