Write to Do the Right Thing

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The goddess of English is smiling at you! Krashenはやっぱり正しい,という話

英語学習についての本は何度も世に出ますし,英語のプロであれ,プロでない人であれ,英語学習を語りたがる人はでてきます.こう書いているぼくも,そういう企画があったら乗るかもしれません.そうしてでてきた情報には役にたつものもそうでないものも当然あります.それは,経済や政治などのニューズと同じことです.

ただ,ハッキリ一歩引いて(これを上から目線と取る人もいる)書いてしまえば,「文法が大事」とか,「まずは発音」とか,「やっぱり語彙」とかいう大概の英語学習に対する主著はある部分には正しいことがあっても,すべてを説明するものではないし,多くの場合,ある特定の立場を主張するというのは嫌な云い方をすればポジショントークであり,いい云い方をすれば自己限定することで自分の専門分野にだけ責任をもとうと誠実に努めているわけです.

で,上記に書いたいろいろな立場の人がいても絶対的に正しいのは,英語を取り入れて,自分が解った身につけたことを中心にアウトプットをするということです.基本的にはなんだかんだ云って大昔のStephen Krashenそのままなわけです.ただ,味噌なのは,「わかった」「身についた」という感覚はひとりひとりの学習者にとって違うので,そのキラキラした感覚(あくまで擬音語で表現していますが,人によってはゾクゾクかもしれないし,そういうことはどうでもいいです)がない限り,プロであれ,アマチュアであれ指導者が,英語のセンテンスをお得意の文法理論で鮮やかに斬って見せても,あるいは間違いを恐れずに話してみろとかとにかく自力で生の英語に触れてみろ,とか云ってもわからないわけです.

その中に自分の中に意味をもつセンテンスだったりフレーズだったり,語が現れるかどうか,っていうのは本当に大事で,大概の英語学習者はできる人(どうでもいい話ですが,ここでの「できる人」とは日常的に生まれたときから英語を話すネイティヴスピーカーも含みます)であればあるほどそういう出会いを多くしているわけです.

あくまで個々人の英語学習について考えれば,そういう出会いを多くするために英語にたくさん触れることをしていくしかないです.それも生きた英語を.生きた英語というのはかならずしもネイティヴスピーカーがネイティヴスピーカーのために話した/書いた英語のことを指すのではなく,教材でも自分にとって意味のある英語を,ということです.ネイティヴ用のものだって自分に関係がないうえにさっぱりわからなければ意味なんて見いだせるわけはありません.

で,このような目の前の英語に意味を持たせる,ということを英語の指導者側から見れば正直絶望的な課題にならざるを得ません.「とにかく自分の興味のあるものを聴いて/読んで」というのは先に挙げたKrashen派の考えですが,すでに自立している学習者は云われなくてもやっていて,そうでない学習者,特に英語がまだまだわかっていない初級者や入門者には何が自分にとって意味をもっているのかがそもそもわからないというのが正直なところだと思います.ここで「だから黙って信頼する師についていけばいいんだ」というような人もいますが,何もわからないような状態で「信頼」はどこから生まれるのでしょうか.

少し可能性のようなものを見い出しているのは,やはり田地野彰先生の「意味順」で,最初からユーザー感覚で語というのを並べていく,というのはかなり斬新で,それぞれの学習者が,Trust me. / You can't do it. / She doesn't let me do this role.みたいな出会った英文を意味順ボックスに当てはめながら味わい,さらに自分の云いたいことにつなげていく.そんな可能性を感じさせますが,それには「意味順」を単に文構造(syntax, sentence structure)の問題だけでなく,正しい語の選択(word choice)や発音(pronunciation, rhythm, and intonation; phonology), 大きなカタマリへの「つながり(cohesion)」と「まとまり(coherence)」や展開(discourse)というような分野に広げてい句必要もでてくると思います.

ただ,最初に戻れば,基本はやっぱりKrashenなわけです.ただ,インプットによる知識が本当に内在する(internalize)というのはすごく大事な問題で,単に文構造や語彙を知っていた,発音を認識できたというのを超えて,場面と結びついてある1部分の英語がしっくりきた,という経験をちょっとずつでも重ねていく.このことをぼくは「英語の神様が微笑む」なんて呼んでいますが,これしかないわけです.ただ,これをあまりに精神論で解くのではなく,なにかよりシステマティックかつ学習者にとってフレキシブルな方法を提示していくことが求められているのではないでしょうか.