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Write to Do the Right Thing

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Could be a bit critical... Critical thinkingという高い壁

このどうでもいいニューズが流れたこといま知りました.以下引用します.

大学入試新テスト 20年度から実施へ

日本テレビ系(NNN 5/16() 16:39配信

 文部科学省大学入試センター試験に代わる新テストの実施案を公表した。

 

 センター試験に代わる「大学入学共通テスト」(仮称)は、2020年度から実施予定で、日程は今と同じ1月中旬の2日間。大きく変わるのは英語で、今のセンター試験を「英検」や「TOEIC」など既存の民間試験にすべて切り替える案と、導入から4年間は、センター試験の形式を残し、大学ごとに民間試験かセンター試験形式かを選んだり、併用できる案があり、来月中に方針を決定する。

 

 民間試験の場合は、高校3年以降の4月から12月に2回受検可能とする。一方、国語と数学はマークシートだけでなく記述式も導入される。

 で,予想される如く,この民間試験にTOEICが含まれていることに「あのテストは頭を使うことを要求されていない」と疑問を呈す人が出てきたり,この毎日新聞の記事のように以下のような意見が述べられたりします.

高校の授業が「検定対策」になる恐れがある。学習指導要領に完全に対応していない試験が選ばれる可能性もあり、「高校3年間の学力到達度を測る本来の趣旨からは外れてしまう」と懸念する声も少なくない。

 2回という受験回数の上限は高校3年しか適用されないため、1、2年の「試し受験」が横行する可能性がある。私立中高一貫校で英語を担当する30代の男性教諭は「民間試験には高得点のコツがある。1、2年での練習が欠かせず、金をかけるほど本番で良い結果につながる」と明かす。

この英語センター試験が外部試験に移行していくという案に関して,賛成する人と反対する人が出てくるのは自然なことなのですが,どちらの意見もなんだかおかしくて,というレヴェルのものだと思います.

世の中の英語教育関係者には,日本の英語公教育が4技能をバランス良く取り入れたものになったものを目指すこと自体も苦々しく思っている人がいるのかもしれませんが,正直これくらいは仕方がないことだと思います.まあ,この前提が嫌いな人は無視してください.

で,その前提に立ったとして,基本的に公教育が行なわれる英語の教室現場で,今まで読みが多かったとするならば,「聴く」をもっと増やした上で,読んだり,聴いたりするぐらいの前後で,ちょっと話したり,書いたりするactivityを取り入れてスキーマを活性化させたり,味わった素材を定着させればいいだけの話です.多くの先生はすでにしていたりするのですが,本当に1文1文当てて訳して,自分の出す訳を覚えさせて,テストに出すという先生は案外生き残っているので(彼らには彼らの合理的な選択があるのでしょう.また,優秀な先生の周りにはこういう先生は集まらないので問題が見えていない,というのもあると思います),そういう先生が徐々に少なくなっていくように導くのが基本戦だと思います.

まず,確かに,英語教育プログラムには,評価(assessment)は大事なのですが,民間試験が仮によくできたものだとして,それをボンと学習者に押し付けたら,正しいプログラムが出来上がるように錯覚しているのがよくわかりません.いや,CEFRを参考にするのはいいとして,現実的なCan-Do statementを作って学習指導要領を作り直すのが筋じゃないですかね.確か,ものすごい頭のいい英語教育関係の人で井上大輔さんがさらっとどこかで「人は定義できないものにはなれない」とさらっと口にしたのを記憶しているのですが,まさにそのことが云えると思うんですよね.で,それができないから,現場の先生までが,対策をしなきゃという発想になるわけで.

同時によくわからないのはこの民間試験の導入に反対している人たちが,上で引用した高校の先生のような「センター試験には対策法はなかった」と示唆させる(imply)ことを発言をしていることです.本当ですか.というか,ぼくはそこまでセンター試験には詳しくないですが,それでもパラパラと試験を見る限り,問題製作者たちは絶対近年TOEICのitem writingを参考にして(時々参考にしそこなって)いると思うんですよね.まだ,on a daily basis / show a profitといった会社員で英語を使うならごくフツーのコロケーションが学生には優先して覚えるものとは思えない,とかいう(確かにこれはそうだと思います.よく高校の先生が故・清水かつぞーさんの本を薦めていることがありますが,TOEICあるいは一般的なビジネス英語の頻出コロケーションを学ぶには早川幸治さんの『TOEICテスト 書き込みドリル フレーズ言いまわし編 新装版』の方が有用だと思います)ツッコミを入れるならわかりますが. どちらにせよ,上記の高校の先生たちのコメント自体が高校での英語教育の位置付けを受験対策として考えている,というのを裏付けている意味では,民間試験導入を賛成している人たちと大差ないような気がするのですが.まあ,ぼくは自分を英語の先生だと思っていないので,勝手なことを述べているに過ぎませんが…

どういうやり方をするにせよ,そこにassessmentがある限りはできる人とできない人が出てくるわけで,(比較相対的に)できない側の人もできないなりに役に立ったこと(benefits)があるものを目指すのが正しいと思うんですけどね.云うなれば,前もどこかで書いたと思うんですが,TOEFL 25点とかTOEIC 200点とか偏差値35とかになる学習者が出てくることをあらかじめ考慮していない英語教育プログラムは偽善か机上の空論だと思うんですよね.モノサシは「よりまし」なものがいいですが,それでもそのモノサシによって計られて「不良」と判断されるものは出てくる.でも,そう判断されるものにとっても全体的には良かったと考えられるものを目指すことを改善と呼ぶと思うのですが,違うのでしょうか.

世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業

世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業

 

で,この英語教育改革の流れの中で「思考力と表現力をこれからの英語学習者に身につけてほしい」的なことが上の記事にも書いてありますが,この「思考力」って英語でいうクリティカル・シンキングのことだと思うんですが,この流れに賛成する人であれ,反対の人であれ,クリティカル・シンキングというのは,思考の幅を広げなければいけないのに,それとは程遠い思考をしているような人の方が目立つ気がします.まあ,そういうことに気づいてきたから,まあ,何かいうより,なるべく静かにガンガン本を書いていく方にスウィッチしつつあるのですが,久しぶりにちょっとコメントしてみました.