Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

機能英文法と英語教育 2

unclassified

下(↓)の記事の続きです.書きたかったけれども書ききれなかった続きを書きます.

先日に続き,なぜことばの学問として自然言語の体系を明示したはずの文法が,実際の言語習得にあまり役に立っていない(ように見える)のはなぜなのかを考えます.

ぼくは言語学の専門家ではないので,文法にprescriptive grammar(なぜか規範文法と訳すようです.How (a) language should be usedについてのルールを体系化したもの)とdescriptive grammar(記述文法と訳すようです.英語も日本語もよくわからないのでなんでこういう訳語になるかは知りません.How (a) language is actually usedを説明したもの)というようなことはうるさくいう気はありません.本当に厳密に2つを区別できるかは人間の言葉なので,微妙ではないかと考えているからです.人は相手がいて,言葉を使うので,ある程度,読みやすい,書きやすいことばを使うのは,社会的に当然起こり得ることなので,ネイティヴスピーカーの頭にぱっとひらめいたとりとめのないものを集めたようなものを分析するのは有益とは思えないし,かつ現実的にできないからです.ただ,この前書いた,偉い先生が書いた言葉のしつけは明確に prescriptive grammar であるはずだし,自然な言葉を集めたものからルールを導き出したとしれば,それはdescriptive grammarと云えるでしょう.

日本で,文法が学習者を楽にさせるよりも苦しませている理由のひとつに日本人があまり言語で何ができるかという言語の社会的機能にそれほど注意を払っていないこと,一応,その機能を軸として文法を考え直した機能英文法というものがあることは前回触れました.この機能英文法がどれだけ役に立つのかは正直わかりません.A New Grammar Companion for Teachersという最近取り寄せた本を,デザインがきれいだし読みやすいなあ,と感心しながらパラパラ眺めてニヤニヤしている程度の知識しかありません.ただ,現状ではこれらの教育現場での導入は日本ではまず無理でしょう.

先日,大学で英語を教えている英米人2人と短い話をさせていただく機会がありましたが,彼らはこの機能英文法の成果を導入したがっていました.それなりに日本語も話せるぐらいになっているネイティヴの先生が導入しようとしているのにまだ動いていない,さらに,機能英文法を専門に勉強している日本人の言語学者なら山ほどいるはずなのに,なぜ教育場面に導入されないか,ということはなにかあるわけです.ぼくはその答えを見つけたと思っていますが,間違っているかもしれません.本当は書かないほうがいいかもしれませんが,このブログを読んでいる人はほぼ世界中を探してもまず5人もいないと思うのでさらりと書いてしまいます.

おそらく理由は現場の日本人の英語教師にとって機能英文法(というかそれだけじゃなくて,現状の文法教育モデルをそれるもの)はものすごく使いにくいものだからです.多くの日本人英語教師は,おそらく第2言語習得理論(Second Language Acquistion)におけるinterlanguage(中間言語,と訳すようです.これはいい訳だと思います.Selinkerという学者が考えだした,と記憶しています)のようなインプットそのままを何も考えないで再生産するのではなく,インプットにより理解を深めながら,自分なりの言語システムを作り上げて,絶えず発展させていくような学習モデルを受け入れられないからです.かつ,なにも考えず,誰かが残したルール体系や単語や構文を丸暗記させて,それを覚えた人を中級者(Intermediate)ということにして,その後は,大量のインプットとネイティヴとの会話(interaction)をさせて勝手に実力をつけてもらうことにしたほうが楽だからです.実際,学習者が自分なりの言語システムを作っている過程に注意を払い適切なフィードバックを行なうのは英語力は当然としてかなりの教授技術を必要とするからです(ついでに云えば,日本人の英語教師とは書きましたが,ネイティヴの先生でも優秀な人を除いては,ほとんどはこんなことはできないです).また,実際,日本人英語教師の多くは,先に述べた文法と単語の詰め込み後の大量インプットと実践で英語力をつけた,というのが多数派でそれが正しいと信じているのが現状です.

もうひとつの理由はこれを書くのはかなり憚(はばか)れるのですが,日本人英語教師が学生に求めるのは,二宮金次郎のように(?),結果や努力して体得したスキルによって何ができるか,のようなことをすぐには求めない努力する姿(注記・姿であって本当の努力ではなかったりすることもあります)であって,学習の結果,彼らが英語が使えるようになるかは正直どうだっていいんですね.彼らが使うコミュニケイションという言葉もなんか英語でいうinteraction, socio linguistic skillsとはだいぶ違う,ドラマ『金八先生』の中での先生と生徒に見られるようななんかよくわからない人間関係のようなものを指していることが多いです.日本人の英語の先生と多く話をしないとわからないことなのですが,あまりの寅さんぶりにときどきあまりに感激してもらい泣きしそうになるほどなタイプの人が予想を超えて多いことに気づきます.あまり皮肉を書くのはこれぐらいにしますが,全体像を踏まえた上での暗記を促したり,暗記をさせた内容が実際に役に立つ感覚を与えるようなレッスンを心がける先生は少数派だと思います(いないわけではないです).

まあ,こういうわけで前の記事と同じように最後の部分をうまくまとめられなかったのが悔やまれますが,機能英文法の英語教育現場での導入はなかなかむずかしいと現状では思います.

Remove all ads