Write to Do the Right Thing

I create things and write about them here as well as other stuff. Views are always mine.

無力感

先週月曜日に半ば強引にずっと執筆していた4冊目のTOEIC本の原稿を編集者に送りました.しかし,仕事からの解放を意味するはずなのに,なぜか気持ちはあまり晴れませんでした.絶望的,までとはいかないのですが,微妙な無力感を味わっていました.

何に無力感を味わっていたのかというと,アイディアを形にするという作業です.あなたがもし,それなりにTOEICに詳しい人ならば解る通り,現在TOEIC関係の出版物は飽和市場です.で,はっきり書いてしまえば,それなりに質の高い本を書いている人はもうすでに決まっています.その人たちと同じだけの努力をして,いやそれ以上の努力をしたとしても,冷酷に現実を見据(す)えれば,ぼくがそういう本と同じ売り上げの本を出すことは不可能でしょう.当たり前ながら,先にいい本を書けば,それだけ過去の読者が本の営業に貢献してくれる上,書店などの流通の際にすでに売れるサイクルが出来上がっているからです.そういう状況の中でぼくが同じゲームで争っても,自爆するだけです.ぼくは,いやな云い方をすれば,負けると解っている戦いにあえて必死で戦い,やはり負けるような努力を尊ぶ風潮はいわゆるハラキリ(英語?)と同じで嫌いです.その上,ぼくは争いが,というか争わなくても,あまり人と関わり合うのもそんなに好きではありません.

そこで,争わずして勝つ,というか負けない方法を考え始めました.まず,当たり前の話ですが,もともと売れているTOEIC本著者の潜在読者(prospective readers)を相手にするのはやめることです.というのは,ここでは,かなり濃い読者がいて,「問題ポイントが本番のものと同じか極めて近いか」「場面・トピックが本番とずれていないか(このことをこの濃い読者たちは「世界観に沿っている」というコロケーションを使います)」などのチェックポイントから厳しく吟味(ぎんみ)を加えている状態にあります.

本番の試験をよく研究してある意味それらしい問題を作成することは大事なことです.しかし,誤解を恐れずに云うならば,それは本の企画時点においてはそれほど大事ではありません.「どのような読者(Who)」に「どういう知識(What)」を「どういう目的で(Why)」「どういう形で(How)」「いつ(When)」というような企画自体の5Ws+How (5W1Hとはあまり英語では云わないと思います.だから,ぼくは使いません.まあ好みの問題ですが)のほうが大事です.現状では,多くは語れないのでこの点についてはこのくらいにしておきます.

もうひとつ考えたことは,「情報のジャンル移動」(こういう言葉があるかどうかは知りません.英語で云えば,transfering information from other genresというような感じ)ということです.これは簡単なことのようですが,なかなか誰もが実行できないことです.というのは,あるジャンルに関わるコミュニティーの中で常識とされていることは基本的には他のジャンルの人たちにはひとつも自明ではないということです.だから,自分が属するコミュニティーにどっぷりつかっている人はそこでの常識については問題ないけれど,他のコミュニティーでの常識中の常識を知らないことが多々あり得るということです.さらに,そういう他のコミュニティーの常識が自分のコミュニティーの常識として役立つ情報だったりすることも本当は少なくないのではないかという疑問が生まれます.

そこで,考えたのは,TOEIC好きの人が当たり前に知っている情報をぼくが知らなくて恥をさらすようなことは執筆中にしたくないけれど,その守りばかりではなくて,他の分野で当たり前とされている情報を積極的に拾いに行けばそのなかでTOEICに応用できる思考法や知識があるのではないか,ということです.

で,どういう本にするか企画を詰めていく際には,他のジャンルの学習書(英語に限らない,また日本語で書かれたものに限らない)などで当たり前のようにしている工夫だったり,トレンドだったりを取り入れられないかを考え続けました.

さらにその2点に加えて,読者が気づいてくれることはないけれど,全体を貫(つらぬ)く芯のようなものがないと本はダメだと思っていたので,一応はきちんと勉強した(はずの)Second Language Acquisition(第2言語習得理論,以下SLA)を元に学習書づくりをこころがけることにしました.世の英語ライターや英語講師は意外と理論を信じていないで,昔からの学習法にしがみつく傾向がありましたが,ぼく個人は世の中結構理屈だと思っています.SLAは基本的にアスリートにとってのスポーツ科学のようなものなので,もちろん,競技ごとの実践練習が最も大事ですが,大きく計画を組む際に,時間軸に沿って科学的に組まれた練習のほうがいいに決まっています.ぼくはそれを英語学習に応用し,どうしたら「気合い」「根性」に頼らない継続的な学習ができ,学習したことが身についていくのかということを考えて本をつくることにしました.

で,ここまで書いてきて,何で無力感を味わっているかというと,結局やろうとしていることにあまり前例がないので,抽象的にしか説明できずに,なかなかわかってもらえないんですね.編集の人は立派かつ優秀な人なのにぼく自身が,自分がやろうとしていることをうまく言葉に落としていって説明して,かつそれに沿った原稿を書き,また納得してもらう,という当たり前といえば当たり前のサイクルが自分が思っていたほど出来上がっていないような気がしたので自分の実力不足に悩んでいます.だから,原稿を提出した後も,本の内容がどうこうではなく,まだどこかしっくり行かない部分がわずかですが,あってそれがつらいわけです.

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